書評一束
『エミシの国の女神』メディア紹介再録

天照大神のモデル神──遠野物語に伝わる瀬織津姫
 柳田国男の名著「遠野物語」でよく知られているように、岩手県遠野地方には独特の民話が数多く残っている。歴史の底に沈んでいて、ふだんは表面に出てこないような「心の正体」とも言うべき味わいをたたえた民話群だ。
 その「遠野物語」の中に「大昔に女神あり」と始まる民話がある。その女神の名は瀬織津姫(せおりつひめ)。早池峰山の神として「早池峰大神」とも呼ばれている。
 本書はこの瀬織津姫こそ大神(あまてらすおおみかみ)のモデルになったのではないかという仮説を出発点に、日本史の奥底に隠された真実と日本人の心の深層を追究している。
 瀬織津姫は地元では「母なる神」として古来、信仰を集め、また地元の民に養蚕をもたらした女神とも伝えられている。
 だが、この女神信仰は全国各地に存在し、熊野地方では那智の滝の神であり、また伊勢神宮内宮では天照大神の「荒魂」とされ、さらに「古事記」や「日本書紀」には「禍津日神(まがつひのかみ)」という悪役として登場する。
 大昔、この日本列島には自然神としての瀬織津姫を信仰していた平和的な人々が暮らしていたのに、そこへ「天下って」きた人々が支配の道具として日本神話を作ったのではないか。本書はそう言いたがっているようにみえる。
 瀬織津姫を祭る神社は、東北地方では、地元の岩手・遠野地方の次にわが福島県に多い。

(2000年11月19日『福島民友』[福島県])


岩手・早池峰山郷の母神「瀬織津姫」の正体に迫る──神話や伝承再検証
 遠野の里は柳田国男の「遠野物語」で知られる。本書では、遠野物語にみられる「大昔に女神あり」という記述を発端に、その女神の正体について追っていく。
 文献を探り、フィールドワークによって女神の正体を次第に解き明かす作業は、なぞ解きに似た知的興奮がある。これまで隠されていた、瀬織津姫という女神の姿を本書は見事に描いている。
 それでは、あまりなじみのない瀬織津姫という女神は何者なのだろうか。
 早池峰山を中心とした地域では、瀬織津姫は多くの神社の祭神として伝えられているという。さらに水源や滝で、不動明王とまるで一体であるかのようにまつられているとし、「不動明王に隠された女神─その滝神=水神である」と菊池さんは書く。
 またアマテラス神のモデル説を再考し、瀬織津姫が伊勢神宮内宮の荒祭の宮にまつられる、アマテラスの原型神の一神であると主張する。考察は続き、養蚕の神とアマテラス、そして瀬織津姫が結びつき、その結びつきは、東北各地に伝わる「オシラサマ」にまで及ぶ。
 民俗学の世界では、これまでなぞとされてきた「オシラサマ」について、アマテラスや養蚕の神と結ぶ過程は興味深い。〔後略〕

(2001年1月22日『河北新報』[宮城県])


(無題)
 本誌第117号で紹介した遠野の風琳堂から、二年ぶりに単行本が出た。柳田國男の『遠野物語』第二話に登場する女神は、名を瀬織津姫といって、遠野の霊峰、早池峰山の母神として信仰されている。瀬織津姫は全国各地に祀られているが、遠野郷や早池峰郷には特に多いのだという。この女神は水をつかさどる神であったが、『古事記』『日本書紀』では名前が消え、なぜか悪神としても伝えられる。その理由を探っていくと、その昔、女帝持統の時代に、伊勢神宮の新しい神、アマテラスを皇祖神として新国家統一のシンボルに据えようと画策した、権力者たちの強い意志が見えてくる。神自身に悪の要因があるのでなく、どうやらヤマト権力の中枢にいる者の作為が働いたらしい。古代の文献や全国各地の伝承を読み解きながら、天皇制の闇の側面に鋭く斬りこんだ、これは風琳堂渾身の一冊である。
(季刊『銀花』2001年春号)


エミシの国の女神──瀬織津姫の正体を探る
 柳田国男「遠野物語」は、「大昔に女神あり」の書き出しで遠野の三山伝説を紹介している。この女神の一人が「瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)」とされ、早池峰周辺では神社の祭神、または滝神として目に付く存在だという。
 女神の名の美しさに引かれた著者は、この女神が記紀に登場しないことに気付く。その上、この女神の性格が古来の研究者によって、はらいの神だったり、伊勢神宮内宮では天照大神の荒魂(あらみたま)だったり、禍津日神(まがつひのかみ=悪神)と規定されていることを知る。瀬織津姫がなぜ天照大神の荒魂であり、悪神としてヤマト王権から恐れられているのか─。著者はこの疑問を出発点に、資料と現場を探索する「思索の旅」に出る。
 瀬織津姫ははらい=みそぎの神であり、水の神である。記紀編さん者たちは、ヤマト以前のまつろわぬ神々を「名義不詳」として正史から消していった。記紀から消された瀬織津姫こそ縄文以来の水の女神だったのではないか…。著者は「日本ほど水の神の威徳を深く感じなければならぬ国はないのに(略)この信仰の変遷が現在は不明に属している」との柳田の一文(竜王と水の神)を引き、瀬織津姫を「エミシの国の女神」とみた。
 その上で、持統天皇の三河行幸を、エミシ順化の重要過程ととらえ、三河の地で集中的にまつられる天白(てんぱく)神の神名として、瀬織津姫を挙げる社が多いことに着目する。養蚕が盛んな三河国の伝承から「天白神=養蚕神=瀬織津姫」と仮定。瀬織津姫が遠野(早池峰)に到来した経緯に、「オシラサマ」を読みとるあたりの解明は興味深い。
 一部資料に価値の定まっていないものもあるが、瀬織津姫の正体を多角的にとらえようとした力作。著者は遠野市で編集業を営む。

(2001年3月5日『岩手日報』[岩手県])


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