天 照 神 明 宮
[しんめいさま]
主祭神 撞賢木厳之魂天疎向津比売命[つきさかきいずのみたまあまさかるむかつひめのみこと]
随 神 誉田別尊[ほんだわけのみこと]・武甕槌命[たけみかづちのみこと]
鎮座地 (福島県伊達市)保原町字宮下1
由 緒  昔、上保原村出身の「三日市二郎太夫」という神主が伊勢の神宮で修行をした後、郷土にもどって上保原の地に神殿を建て、ご神体をお祀りしました。ある年の大洪水の時、古川が氾濫して上保原の神殿が流され、今の宮下の地にご神体が流れつきましたが、不思議なことにご神体は少しも濡れておらず、有難いご神徳にあやかりたいと思った村人たちが、新しくお宮を建てご神体をお祀りしたと言い伝えられています。
 そのころの神明宮は境内地が百間四方もあり、拝殿で白繭の蚕を初めて飼ったことから「白蚕神明宮」と呼ばれておりました。戦国の時代に入った頃、お殿様が神領地を巡見している途中、重い病気に罹った折に神明様が夢枕に現れ、お告げによってたちまち病気が治ったことから、神明様のご神徳の賜物であるとして神社の再建が命じられ、正徳3年(今から約3百年前)“天の下を明るく照らしてくださる神様”として、現在の『天照神明宮』に改称されました。
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